ハピ平のHAPPYらいふ♪~あなたもHappyになってほしい~

40歳でパパLifeスタート!パパにだって何か出来るはず!!的なひとり言ブログ

ハピ平のHAPPYらいふ♪

もうすぐ父の日らしいんで、私と父の話をします

 父の日に向けて

私を突き動かすもの!!

 大きすぎる壁である父の存在!!

 

はい!今日も熱いですよ( *´艸`)

そうそう何でこんな人間になってしまったのか?

今日はタイトルどおり父の話でもしたいと思います

 

 少年時代の私と父

私の父は田舎のこじんまりとした床屋さんでした

 

子供のころから私は父の事が大好きでした

 

接客業という仕事がら土日祝は必ず仕事でした

 月曜日の休みもお客さんに頼まれるとこっそり働いてました

 

でも、寂しくはありませんでした。

 家と店が目の前なので帰ればいつでも両親にあえました

 

そして何故か動物園や遊園地等色んな思い出も写真もいっぱいです

近所の子や友達も一緒に連れて行ってくれる事も多々あり

自慢の父でした

 

でもそんな大好きな父ですが

 父の仕事はあまり好きではありませんでした

 

理由は簡単です

 

ペコペコしてるからです。

 

何歳の事だったか父に言ってしまった事があります

 

髪を切ってあげてるのになんでお礼を言うのかと

 

父の答えは正直おぼえてませんが、いつものように優しく理由を説明してくれたと思います

 

小さかった私はあまり理解は出来なかったと思うのですが

聞いたという記憶があるというのは何かしら感じて

今も心のねっこに残って栄養をくれているはずです

 

 

父が家族の為にした選択

そんな父をかっこいいと思ったのは

 

家を建てた時でした

 

私が産まれて多分二度目の引っ越しでした

 

 

産まれた家

1度目は元クリーニング屋さんの離れの借家から

 

元商店の借家に引っ越しで道を挟んだ斜め前に引っ越しでした

 

元々が狭かったので広くなる引っ越しでした

 

もちろん憶えてません

 

最初の家の記憶はは、ほぼ写真をみた記憶から後々脳内で製造されてる気がします

 

二つめの家

二番目の家は思い出がいっぱい、古いけど広い

 

大きな大きな家を二分割した建物で二階はあるのに階段が取り払われていました

 

うち側のスペースだけでも玄関もトイレも風呂も二個ずつありました

 

床下が悪くなってて畳がトランポリンのような部屋もありました

 

私の身長より大きなスピーカーは自慢でした

 

廊下は走れるほど長く庭に面してて今はあまり見かけない縁側になってました

 

広さはピカイチのおんぼろ借家は思い出ありすぎて止まらなくなってしまうのでまたの機会にしましょう

 

父の決断

時を戻し家を建てるころ私は高校生になる

 

その頃、行政の区画整理が始まっていてはじから順に立ち退きが始まっていました

後、数年待てば立退料がたくさんでるらしいことはわかるくらいの年になっていました

 

しかし父はその期間を待ちませんでした

 

なぜなら

 

私の地元は田舎すぎて高校卒業後の進学は公務員専門学校と看護学校の二拓だったと記憶しています興味がなかったので間違ってたら地元の人ごめんなさい

 

そうすると何の道を選んでも大半は地元を出ていくことになります

 

それを考えた父は家を出た後建てても

帰ってくる家にはならないと考えたようです

 

そんな家族を考えた父の判断はそんな先を待たずも

私に良い影響をくれました

 

家が出来上がると

あのおんぼろの家に変化が起こりました

 

あの長い廊下が走れなくなったのです

床が抜けたわけではないですよ

今でもわすれません

山のようにそびえるお祝い

ずら~~~~~~っと並んでいました

ガラス戸で縁側からの光で明るかった廊下と面したふすまの部屋が全部暗くなっていました

 

素直にかっけ~~~!!って思いました

 

あぁ田舎のせまい世界だけど、この人はこうやって根っこをはって家族を守ってきたんだな~って誇らしかったのを憶えています

 

そして父の家族思いの計らいで私は高校生活を借家ではなく新築の真っ白い家ですごしました

色々ありました

専門卒業して違う道を選んだ時も

す~ぐ帰りました

引っ越しも父が大きなワゴン車を借りてきてしました

そこらも色々ありますが

またの機会にしましょう

 

父の大きさを知る時

色々をい~~~っぱいすっとばして

 

 

父のでかさを本当の意味で知るのは

 

葬儀の日でした

 

前日のお通夜にお世話になった葬儀社の担当さんが言われました

ちょっとお花の数が多いですね

予定してた部屋より広くした方がいいかもしれません

 

今考えたら営業トークだった可能性を考えてもおかしくないですね

 

しかしその日の私は疲れもピークで脳が機能してません

二つ返事で快諾した気がします

 

あぁそう言えば担当さんが弟の同級生ですごく安心していたお陰もあるかもしれません

凄く良くしていただきました

葬儀社さんって葬式終わったらはいサヨナラじゃないいんですよね

経験しないとわからないものです

まぁそれもまたの機会で

 

お察しの通りです!たくさんの方が来てくださいました!たくさんの人が涙してくれました

 

広くした部屋にも入りきれませんでした

 

妻が後日言いました

 

知ってた?

 

私たちの目の前に

 挨拶に来てくれた人たちの涙で水たまりができてたの・・・

 

あぁ越えれねぇ・・でかすぎでしょう

 

でも、あの人の息子に生まれて良かった

 

ありがとう!!

 

 

今の私

そしてほどなく娘が産まれました

じぃじに抱っこしてもらう事は叶いませんでしたが

結婚して16年目にして授かったのは父が後押ししてくれたのではと思えました

 

父自身には弟が4人もの孫をプレゼントできたので寂しくは無かったはずです

私の事はもしかしたら心配してたかもしれませんが

 

ただ私自身としても父の事をじいじにしてあげれたのは言葉に出来ないほど嬉しかったです

そして毎日、娘の事を愛おしいと思えば思うほど父の気持が知れたような気がしています

 

それこれも、うちを選んで来てくれた娘にも、頑張ってくれた妻にも感謝がつきません

 

 

私の決断

そしてようやく

ここから、このたびの執筆のきっかけの話になります

 

お恥ずかしながら形から入るのが大好きな私の趣味の一つに法人化したらどんな会社名にするか?というものがあって

 

それはもう何百と言う候補がこれまで産まれてはさよならしてきました

娘の名前を考えていた時の次くらいに大変です

 

はい、お察しの通りその節は妻もほとほと疲れたと思います

 

で?

そう、そうなんですよ

その名前が今回決まりまして

発表

この場を借りて発表します!!

 

【株式会社 〇〇〇〇GG】

 

どうです?かっこいいでしょう?

そうですね、かわかりずらいですよね

〇〇〇〇のところは父の名前が入ります

これがまた良い名前なんですよ~私のやりたいことにもあってますし

 

GGというのはもちろん私が父をじーじーに出来たという誇りと

父をじーじーにしてくれた家族への感謝が込められています

 

それだけではありません

 

GenerationのG

 

世代ですね!!もうすぐ5Gが世の中をよりよくしてくれると思いますが

 

よりよい世界を次世代に6G!7G!と思いを込めてます

 

私が父から何を受け取り娘に何を残せるのか?まだまだ模索中。むしろスタート出来てるのかすらあやしいですが

 

とりあえず看板だけでも背負ってみたら何か見えるものも変ってくるかもしれないと考えました

 

親が子に名前というプレゼントをくれます

絶対ではないですがわりと多い事です感謝もしています

 

子が親の看板を背負って生きていくのも

おもしろいんじゃないですかね

 

 

【株式会社 〇〇〇〇GG】という看板をせおって生きていきたい

 

いや!!やる!!

 

ワクワクしてます!!みなさんもどうですか?

 

親の名前を背負って生きる!!すごいワクワクしますよ

 

おススメします

 

私はたまたま会社名で考えてますが

 

別に会社じゃなくても

あなたの家族という大事なチーム名でも良いのではないでしょうか?

声を大にしていわなくてもいいと思います

心の中でふと思うだけでも世界の見え方が少しかわるかもしれません

 

【Team 〇〇〇〇GG】

 

〇〇〇〇さんの名に恥じないあなたらしい素敵なチームになさって下さい

 

最後まで読んでいただきありがとうございました

 

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